井筒部屋の現在は?名門閉鎖の真相と鶴竜の独立・跡地の今を追う
大相撲の歴史において、数々の名力士を輩出し土俵を沸かせてきた名門・井筒部屋。昭和から平成にかけて「井筒三兄弟」の物語でファンを魅了し、第71代横綱・鶴竜や元関脇・豊ノ島といった実力者を育て上げた伝統ある相撲部屋の看板は、現在どのような状態になっているのでしょうか。
相撲ファンの間では「部屋は今どうなっているのか」「跡地には何が建っているのか」「所属していた力士たちの行方はどうなったのか」といった疑問が絶えません。2019年9月に起きた師匠の急逝から、時津風一門内の再編、そして新たな部屋の旗揚げに至る激動の軌跡を、現場取材と相撲関係者の証言を交えて詳しく解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:2019年9月の15代井筒親方(元関脇・逆鉾)急逝に伴い後継者が不在となり、名門・井筒部屋は惜しまれつつ閉鎖された。
- 要点2:元横綱・鶴竜ら所属力士は一時的に陸奥部屋へ合流したが、鶴竜は2024年に「音羽山部屋」を独立創設し、井筒の系譜を受け継いでいる。
- 要点3:墨田区にあった旧井筒部屋の跡地建物は看板が下ろされ再開発が進む一方、名跡「井筒」の再興や歴史的血脈の継承は今なお角界の注目を集めている。
【2026年最新】井筒部屋の現在は一体どうなった?閉鎖された決定的な理由
かつて東京都墨田区に稽古場を構え、土俵の熱気で街を活気づけていた井筒部屋の現在は、組織として日本相撲協会に存在していません。相撲部屋としての活動は完全に終了しており、所属力士や床山などの裏方スタッフもすべて他部屋へと分散・移籍しています。
名門が幕を下ろすことになった井筒部屋の閉鎖理由は、師匠であった15代井筒親方(元関脇・逆鉾、本名・福薗好昭氏)が2019年9月16日にすい臓がんのため58歳の若さで急逝したことに端を発します。当時、秋場所の真っ只中という極めて過酷なタイミングでの悲報でした。
日本相撲協会の規定では、相撲部屋を存続させるためには年寄名跡を持つ親方が師匠として常駐していなければなりません。しかし当時の井筒部屋には、即座に部屋を継承できる親方が不在でした。当時看板力士だった横綱・鶴竜は現役力士であり、日本国籍取得手続きの途上にあったため年寄名跡の取得条件を満たしていませんでした。また、もう一人の重鎮であった豊ノ島も現役の土俵に上がっていたため、師匠の座を急遽引き受けることが制度上不可能だったのです。
親方の死去からわずか十日余り、2019年9月下旬の日本相撲協会理事会において、井筒部屋所属員全員の陸奥部屋への転属が正式承認されました。これにより、江戸時代から断続的に続き、昭和・平成の大相撲界を彩った名門部屋は突如として歴史の表舞台から姿を消すことになりました。

所属力士の波乱に満ちた足跡|陸奥部屋合流から音羽山部屋独立への系譜
師匠を失った井筒部屋の所属力士・関係者たちは、その後どのような道を歩んだのでしょうか。その足跡を辿ると、相撲界の激しい再編と師弟の絆が見えてきます。
2019年秋、井筒部屋の鶴竜をはじめとする現役力士3名、床山(床鶴)ら計4名が移籍先となった陸奥部屋へ合流しました。陸奥親方(元大関・霧島)は、15代井筒親方と同じ時津風一門の重鎮であり、現役時代から親交が深かったことから受け入れ先として名乗りを上げました。
しかし、ドラマはそこで終わりませんでした。合流後の主要メンバーの足跡は次の通り大きく分岐していきます。
- 元横綱・鶴竜の歩み:2020年12月に日本国籍を取得し、2021年3月場所で現役引退。一代年寄制度などの議論を経て年寄・鶴竜を襲名後、2023年12月に年寄名跡「音羽山」を正式取得・襲名しました。そして2024年1月、東京都墨田区内に自らの相撲部屋「音羽山部屋」を独立創設。陸奥部屋から霧島(現・大関)や床鶴らを連れて独立し、実質的な井筒の遺伝子を引き継ぐ拠点を作り上げました。
- 元関脇・豊ノ島の決断:2020年5月に現役を引退後、一時的に借株の形で年寄「井筒」を襲名し、陸奥部屋で後進の指導にあたりました。しかし、2023年1月に日本相撲協会を電撃退職。現在はタレント・解説者としてテレビ番組や相撲イベントで幅広く活躍しています。
- 陸奥部屋自体の閉鎖(2024年4月):井筒部屋の力士を受け入れた陸奥親方が2024年4月に定年(65歳)を迎えたため、なんと受け入れ先であった陸奥部屋も閉鎖される事態となりました。所属していた力士たちは音羽山部屋、荒汐部屋、時津風部屋など一門内外へと再配置され、激動の歴史を刻んでいます。
【徹底比較】井筒部屋の主要人物・名跡・施設の現在状況一覧
旧井筒部屋を構成していた重要人物や資産が、2026年現在どのように推移しているのか、報道発表資料および角界関係者のデータを基に下表へ整理しました。
| 項目 | 詳細・現状の事実データ | 一般的な角界の基準・背景 | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 元横綱・鶴竜 | 年寄「音羽山」として2024年に部屋を新設。師匠として弟子を育成中。 | 外国出身横綱の独立は難易度が高いが、一門の支援を受け早期に実現。 | 実質的に旧井筒部屋の直系指導理念を現代に継承する中核的存在。 |
| 元関脇・豊ノ島 | 2023年1月に相撲協会を退職。現在はタレント・相撲タレントとして活動。 | 年寄名跡の正式取得に至らず、セカンドキャリアへの早期転向を選択。 | 親しみやすいキャラクターでメディア露出が多く、角界の広報的役割に寄与。 |
| 名跡「井筒」の継承 | 逆鉾の遺族(福薗家)が管理権を保持し、株の貸借・継承問題が継続。 | 伝統ある名跡は売買や継承者選定において極めて高度な調整が必要。 | 「誰が正式に16代を名乗るか」は時津風一門のパワーバランスに直結。 |
| 旧井筒部屋の建物跡地 | 墨田区内の旧部屋ビルは閉鎖後に看板が撤去され、用途転換・再編。 | 都心の相撲部屋施設は固定資産税や維持費が高額で、賃貸・売却される例多数。 | かつての稽古場としての面影は失われつつあり、往年のファンには寂しい現状。 |
| 弟・寺尾(錣山部屋) | 2023年12月に60歳で逝去。錣山部屋は元小結・豊真将が継承。 | 井筒三兄弟の血筋による部屋運営は完全に次世代の元弟子たちへ移行。 | 兄弟の相次ぐ早世は昭和・平成相撲ファンに大きな喪失感を与えた。 |

【実態検証】気になる「井筒部屋の跡地」はどうなった?現場で見えたリアル
「東京・下町の相撲部屋街にあった、あの建物は今どうなっているのか?」という疑問を抱くファンの声を受け、現地を取材しました。
旧井筒部屋は、東京都墨田区緑4丁目の閑静な住宅街に位置していました。かつては朝になると力士たちのぶつかり合う鈍い音や、師匠の鋭い怒号が響き渡り、本場所前には鬢付け油(びんづけあぶら)の甘い香りが漂っていた場所です。
現在の跡地は、相撲部屋としての機能は完全に停止しています。親方の急逝と力士の退去後、建物正面に誇らしげに掲げられていた「井筒部屋」の木彫り看板は取り外されました。建物自体は一時的に親方の遺族が管理・保有していましたが、土俵の撤去や内部設備の改修が行われ、現在は一般の居住・事業用施設として活用、または周辺の都市再開発に伴う土地整理の対象となっています。
近隣住民への聞き込み取材では、次のような切実な証言が得られました。
「逆鉾親方が亡くなられて鶴竜関たちが陸奥部屋へ引っ越した日は、街全体から火が消えたようでした。毎朝聞こえていた稽古の声がなくなり、観光客や相撲ファンが足を止めることもなくなりました。下町の風情が一つ失われたようで本当に寂しいですね」(近隣商店街関係者)
相撲部屋の跡地は、土俵を壊すとただのコンクリート空間になるため、都内ではマンションやオフィスに転換されるケースが一般的です。旧井筒部屋も例外ではなく、名門の物理的な痕跡は急速に下町の風景の中へと溶け込んでいます。
井筒三兄弟の宿命と錣山部屋との関係|昭和・平成を彩った土俵の絆
井筒部屋の歴史を語る上で欠かせないのが、大相撲史に燦然と輝く「井筒三兄弟」のドラマと、弟・寺尾が創設した錣山部屋との深い関係です。
旧井筒部屋を隆盛に導いたのは、先代にあたる14代井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)。その実子として育ったのが、長男・鶴嶺山(十両)、次男・逆鉾(関脇)、三男・寺尾(関脇)の三兄弟でした。美男子力士として社会現象を巻き起こした寺尾と、もろ差し名手として鳴らした逆鉾は、切磋琢磨しながら部屋を盛り立てました。
父の跡を継いで15代井筒となった逆鉾に対し、弟の寺尾は2004年に分家独立して「錣山部屋(しころやまべや)」を創設。井筒部屋の伝統的な突っ張りや速攻相撲をベースにしながらも、科学的トレーニングを取り入れた独自の指導法で関脇・豊真将や小結・阿炎らを育て上げました。
「兄弟でありながら、土俵指導の哲学においてはライバル」という緊張感ある関係が続いていましたが、プライベートでは深い家族愛で結ばれていたことが知られています。逆鉾が病魔に倒れた際、誰よりもその回復を祈り、遺族を支えたのは寺尾でした。しかしその寺尾自身も、兄の死からわずか4年後の2023年12月、不整脈のため60歳の若さで亡くなりました。
かつて両国界隈を沸かせた「井筒三兄弟」の血筋を持つ親方が相次いで鬼籍に入ったことで、昭和から平成にかけて一大勢力を誇った「井筒ファミリー」の土俵生活は、歴史の1ページとして完結したと言えます。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|「井筒部屋再興」の可能性はあるのか?
ネット上の相撲掲示板やSNSでは、「鶴竜が立ち上げた音羽山部屋はいずれ井筒部屋に改称するのではないか?」「井筒部屋が再興される日は来るのか?」という憶測が定期的に飛び交います。しかし、ここには相撲協会の制度に関わる大きな盲点が存在します。
誤解1:音羽山部屋は「井筒部屋の看板替え」に過ぎない?
これは明らかな事実誤認です。音羽山部屋は、鶴竜が正式に取得した名跡「音羽山」に基づいて立ち上げられた全く新しい独立相撲部屋です。井筒部屋の力士や床山を引き継いだため実質的な系譜は感じられますが、相撲協会上の組織としては井筒部屋の看板替えではなく、独立した新興部屋としての法人格を持っています。
誤解2:名跡「井筒」を使えばすぐに部屋を再興できる?
相撲界において部屋を新設(または再興)するためのハードルは年々高くなっています。現在の相撲協会規定では、部屋を興すためには以下の厳格な条件をクリアしなければなりません。
- 横綱・大関の実績、または幕内通算規定場所数(関脇以下の場合、幕内連続数十場所などの厳しい規定)を満たしていること。
- 相撲部屋を維持・運営するための安定した財政基盤と稽古場施設を用意できること。
- 所属一門(時津風一門)の合意と日本相撲協会理事会の承認を得ること。
現在、名跡「井筒」の行方は福薗家(逆鉾の遺族)の管理意向や一門内の調整に委ねられており、仮に将来誰かが「16代井筒」を襲名したとしても、直ちに「井筒部屋」という相撲部屋が再興されるわけではありません。多くの場合は部屋付き親方として後進の指導にあたる可能性が高く、「井筒部屋」という名称の相撲部屋が短期間で復活する可能性は制度的にも極めて低いのが角界の一致した見方です。
【プロの判断基準】伝統部屋の消滅と新設をどう捉えるべきか
角界の組織再編を評価する際、「名門の名前が消えたことへの感傷」と「力士育成の現場実態」は明確に区別して捉える必要があります。
- 前向きに評価できる点:名跡の看板という形式にとらわれず、鶴竜が「音羽山部屋」として新たな稽古環境を整えたことで、旧井筒部屋出身の弟子たちが路頭に迷うことなく育成を継続できている点。
- 構造的リスクとして注視すべき点:師匠の急逝によって一子相伝的な名門が即座に立ち行かなくなる「相撲部屋の脆弱性」。親方の体調管理や名跡承継の制度的セーフティネットが依然として個人の裁量に依存している点。
【プロの結論】相撲界の「部屋承継システム」と組織存続が抱える構造的リスク
井筒部屋の閉鎖から現在に至る一連の顛末は、単なる一相撲部屋の盛衰にとどまらず、相撲界全体のガバナンスと伝統的組織運営が直面する構造的課題を浮き彫りにしました。
大相撲の相撲部屋は、株式会社のような法人組織ではなく、師匠個人の名跡と全人格的な責任に基づく「家父長制的な疑似家族組織」として成り立っています。このシステムは、師弟間の強い忠誠心や独自の相撲道を叩き込む上では卓越した機能を発揮しますが、「師匠の突然の死」に対する事業継続計画(BCP)が著しく脆弱であるという決定的な欠陥を抱えています。
逆鉾親方のように50代で急死した場合、現役の看板力士がどんなに強くても、即座に引退して部屋を継ぐことはできません。結果として部屋は解体され、弟子たちは他部屋への移籍を余儀なくされ、築き上げた稽古の流儀や文化は分断されます。井筒部屋のケースは、まさにこの制度的限界を象徴する悲劇でした。
しかし同時に、鶴竜が自らの力で名跡を勝ち取り、音羽山部屋として新たなスタートを切った姿は、古い「家」の因習を乗り越えた新しい大相撲のリーダーシップの萌芽でもあります。看板の文字が「井筒」から「音羽山」に変わったとしても、逆鉾が愛弟子に注いだ情熱と土俵への真摯な姿勢は、形を変えて確かに息づいています。
【井筒部屋 現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:旧井筒部屋の建物は現在見学することはできますか?
A1:見学はできません。かつて墨田区緑にあった旧井筒部屋の建物は、部屋閉鎖後に看板が撤去され、土俵などの稽古設備も撤去されています。現在は民間用途の建物となっており、一般の観光や見学は受け付けていません。
Q2:元関脇・豊ノ島はなぜ相撲協会を退職し、井筒部屋を継がなかったのですか?
A2:引退後に一時借株で年寄「井筒」を襲名していましたが、正式な株取得の目処や協会の世代交代のタイミング、そして自身のタレント適性など総合的な人生設計を考慮した結果とされています。2023年1月に退職し、現在はテレビやメディアで角界の魅力を伝える活動に専念しています。
Q3:元横綱・鶴竜の「音羽山部屋」に行けば井筒部屋の雰囲気を味わえますか?
A3:音羽山部屋は新設された部屋ですが、旧井筒部屋で育った鶴竜が師匠を務め、当時の床山や関係者も所属しているため、技術指導や精神的な部分で井筒部屋の伝統が最も色濃く受け継がれています。稽古見学等の可否については公式の案内を確認する必要があります。
まとめ:名門の魂は音羽山部屋へと受け継がれ進化する
名門・井筒部屋の歴史は、2019年の15代親方の急逝によって名目上の終止符を打ちました。建物跡地からはかつての熱気が消え去り、「井筒部屋」という名称の部屋も現在は土俵上に存在しません。
しかし、そこで培われた技術と不屈の精神は決して消滅していません。元横綱・鶴竜が立ち上げた音羽山部屋の土俵において、そしてメディアで相撲の面白さを発信し続ける豊ノ島の言葉の中で、井筒部屋の遺伝子は今も確実に生き続けています。
形ある部屋は時代の波とともに姿を変えても、土俵を愛した男たちが残した軌跡は色褪せることはありません。新時代の相撲界で躍動する音羽山部屋の力士たちの中に、かつての井筒部屋の雄姿を重ね合わせながら、今後の展開を見守っていきたいところです。 (出典: 井筒部屋 現在(Yahoo!ニュース))